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【お葬式コラム】「お彼岸」の歴史

コラム2017.09.08

こんにちは、八光殿の廣藤です。

「春のお彼岸」「秋のお彼岸」には、
お仏壇のお掃除やお墓参り、菩提寺で行われる彼岸会に参加されるなど
先祖供養を行っている方も多いのではないでしょうか。
八光殿スタッフブログでも「お彼岸(ひがん)」に関しては、
何度もお話しさせて頂きました。
「お彼岸」に関して詳しくは⇒こちら

彼岸花3

今回はそんな「お彼岸」の歴史に関してお話ししてまいります。

日本における彼岸の始まりは諸説あるものの、
806年、早良親王(さわらしんのう)のために
僧により経を唱えさせた「彼岸会」がはじまりと言われています。

早良親王とは桓武天皇の弟で、皇太子だった人物ですが、
長岡京造営責任者殺害の罪を疑われての流罪、
その後移送中に死去と言った悲運な人生を歩んだ方です。

早良親王が亡くなってから、桓武天皇、長岡京は不幸が相次ぎ、
この原因が「早良親王の祟り」と言う噂が広まりました。
そこで、桓武天皇は長岡京から平安京へ遷都するとともに、
早良親王の鎮魂を願い「彼岸会」が行われたと言うわけです。

平安京遷都までの過程
平安京に遷都されるまでの過程

御霊を鎮めるために始まった「お彼岸」も
その後は宮中行事として定着していたようですが、
庶民に広がりを見せたのは世情の不安が広がった平安時代中頃です。
誰でも「南無阿弥陀仏」を唱えると極楽浄土へ行けると言う浄土信仰が、
「お彼岸」は「阿弥陀様に近づける日」「浄土を偲ぶ日」
「先祖を供養する日」と言う考えを定着させ、
日本では先祖供養が営まれるようになったと言われています。

日本独自の行事「先祖供養を行う日」として定着した「お彼岸」。
「お彼岸」には、お仏壇のお掃除やお墓参りを家族で行い、
今後も自分たちの子供、孫へと伝えていきたいものですね。

 

2017年秋のお彼岸


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